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審査員講評

審査員3名の講評を掲載いたします。

 

延命聡子 氏

▪️​Aブロック

また明日。(佛教大学)
『夕暮れとさよなら』


大学生の下宿を舞台にした45分一幕の3人芝居としてまとまっており、リアルさと物語(理想)のバランスもとられていたと思います。
日常を描いた作品ですので、早めに物語の続きが気になるようにするか、日常そのものを見せ物にする技術を身につけるか、少なくともどちらかがあるとよいと思いました。
前者なら、最初に男女ふたりだけになったときに間を恐れずに「このふたり何かありそう」感を出していくこと。(後半は間がとれていました。)
後者なら、舞台上で本当にダラダラできるようになるか、演技としての自然さのトーンを揃えること。(舞台上では「待ちませーん」「おるんかい!」くらい少しテンションがあがったほうが自然に見えました。)
音響照明の変化なし(SEと部屋の明かりのつけ消しだけ)、又は変化を感じさせないくらいで見せられるのが理想形だと思います。 
学生劇団の場合は技術的に解消するよりもちゃんと仲良くなる(お互いの信頼度をあげるなどの)ほうが近道だったりすることもあるので、合うやり方を見つけていただければと思います。



劇団トム論(京都大学大学院 他)
『岡田世界一周の旅』


出演者のひとりである岡田さんが世界一周の旅をした際のブログを、筋トレをしながら読み上げるという、簡単にいうとそれだけの内容でしたが、一番見せ物になっていました。
世界一周した本人と、本人でない役者が等価になったり、本人でない役者のほうが自分の言葉らしく見えるときが生まれていたのも興味深かったです。
途中で飽きるという意見もありましたが、世界一周もブログも飽きるものではあるので、飽きないようにするよりは、ブログを再開した動機と、終盤で演者が筋トレを再開する動機が明確に重なって見えるような仕掛けがあると、(それがたとえば「なんとなく」であっても)観客が再び興味をひかれやすかったかと思いますし、観ていてそこはなぜだったのか知りたいと思いました。

 

ユニットめうつり(京都橘大学 他)
『わすれもの』


大学の部室と、主人公が自分自身と対話するようなシーンが交互にある構成の女性の物語。
また明日。さんとは逆に、シーンの大半で主人公が常の状態ではないため、演出と演者の仕事としては、序盤のシーンで各々のキャラクターの芯と普段の関係性を明確に打ち出して、力業でも最後までそれを引っ張ることかと思いました。達者なだけに演技が少し各シーンの雰囲気に寄り添いすぎているように感じました。
脚本の段階ですと、 そういう人であるところからスタートするか、常の状態ではなくなるきっかけを現実世界側にもってくるなど、言葉での説明ではなく具体的な出来事とそれに対するリアクションで見せる余地を増やすと、見やすく、やりやすくなるのではないかと思います。
例えば、「描いた絵を人に見せようという話をして拒絶される」より、「まさに人に見せているところを目の当たりにしてしまう」「勝手に飾られている」とか、まずはそこでなんか起こっちゃったほうが演劇は分かりやすいです。
また、構成上、自分自身と対話する場面ではどうしても後半になるにつれて主人公の心情を語らざるを得ないので、なおさら現実のシーンでは心情を説明するのは最小限におさえると見やすくなるかと思います。

 

​▪️Bブロック

 

ゆとりユーティリティ(京都府立大学 他)
『さとりストーリー』


女装でやるという形式を選んだ時点で半分勝ちだと思いました。
女装することによって
・多少演技に拙い部分があってもそれらしく見える
・めちゃくちゃいいこと言っても歯が浮かない
・かえって真実らしく聞こえる 
・だいたい何をやっても許される
など、様々なメリットが生まれていました。
それらのアドバンテージに対して、個々のやり口が逆をはっているようにも見えたので、のっかっていくとすごくいい演劇形式になると思います。
演劇の笑いには、その後の主張(ときどき織り込まれるテーマ的なことなど)を受け入れやすい心の状態をつくるなどの効能があるので、起承転くらいまではテーマ性が隠れるくらい笑いをとっていく方向に振り切って大丈夫です。
人の懐に入り込みやすい素の雰囲気をみなさんまとってらっしゃるので、むしろ素っぽい雰囲気(女装なのに急に男感を出すネタなども含みます)を織りまぜていったり、「向こうの山の人」と言うときにきちんと客席を巻き込むなど、一見ネタにしか見えないことで丁寧にお客様を自分達の身内/味方にしていければいいと思います。(女装は文化祭ノリの身内ネタの極北のようにも扱われますが、身内にしてしまえばこっちのものなので)
この先、女装以外のお芝居をやったときにどういう評価になるかは全く分かりませんが、毎回女装(同じキャラクター達が別のところへ行くなど)でもいいくらいの可能性を感じました。

後方39999.999km(佛教大学 他)
『㌔』


アドリブありの作演出と、主演兼受け止め役(ツッコミ)の二人芝居。
舞台転換中に堂々と素で喋ったりはできるわりに、演技中は見られたさと見られたくなさが全力で同居するあの感じをその日の客席がどう受け止めるかに結構左右されるように思いました。
本人が狙ってると思われても笑われてると思われても笑いにくくなる(笑いにくいお客様が出てくる)ことと、息切れしてくると共演者のほうを向けていたようなので、本人と受け止め役のほかに、球出し役をもうひとり入れると(そして本人が人前で演技していることを忘れるくらいの球をその人がときどき放ってくれると)見え方が安定するように思いました。
結果、受け止め役の負荷は増すかもしれませんが、彼も多少負荷がかかっても輝ける性質だと思います。

 


睡眠時間(京都造形芸術大学 他)
『◎』


団地に老婆と女、少年少女、闖入者の男と、いくらでも抽象的にやれてしまいそうな道具立てを極力具象的な演技で立ち上げており、一番俳優に真っ向からお芝居をさせていると感じました。
一点だけ、老婆役という負荷がかかった状態で「土地には土地の歴史がある」という台詞をストレートに叫ぶのは、観ている側にもどうしても大学生が演じているという先入観がはたらいてしまうため(40歳過ぎたくらいでなら言える力が充分あると思います)別の台詞を叫ばせたうえでその台詞は流すなど、脚本演出上の処理があったほうがよいかと思いました。

 

​▪️Cブロック

劇団脳殺定理(近畿大学 他)
『春玖番』


連作短編小説の一編のような印象でした。
どんなジャンルの話なのか(大学生活ものなのか、時間移動ものなのかなど)が分かるまでに時間がかかることと、分かった後に期待する着地点に届かないこと(AとBが同一人物であるなどの答えが明確に提示されないこと、最終的な結末まで描かれないことなど)で、単独の上演ですとお客様の満足度の点でちょっと損していたかと思います。
連続上演の2本目以降でしたら、そのあたりが補えるのでもっと観やすかったと思われます。
45分間の中に話の軸をふたつ設定しているために主人公と友達や先輩との関係構築が結構かけ足だったので(部員のキャラクターがはっきりしていたので意外とストレスなく観られましたが)、どちらかの設定をよりシンプルにするか、本末転倒かもしれませんがどちらかだけでもよかったのかもしれません。
ダンスが少し振り付けに引っ張られているように感じましたので、もっと演劇のオープニングとしてのダンス(ダンスそのものではなくキャラクターと情動を見せるもの)に寄るとよいと思いました。

 

劇団シレン(同志社大学)
『静かにしろ』

 

ほぼずっとDJが舞台上で音を出しており、普通に台詞ありの物語が進行しているもののほぼ音楽が耳に入ってくる芝居。
全員が同じ方向を向いており、一番堂々としていた(自分達の表現に確信を持っていた)ように見えたのでよかったです。
演劇を観るというつもりで観るとどうしても物語を追いたくなってしまうため、演劇祭のような、お客様や音響設備を選べない場所でだけ上演するのであれば、ときどき台詞を聞かせるポイントを作ったうえで、動きと断片的な台詞だけで把握できるようなストーリーを用意するなどの工夫ができたかもしれませんが、会場に合わせるよりは、理想の会場で理想の形態(もしかしたら客席で酒類販売したいとかあるかもしれない)で上演しているところを観たいと思いました。
全国大会の会場で上演したらより良くなるという性質のものでもないように思いました。

 

 

​▪️Dブロック

劇団ストロベリーフレーバー(関西大学 他)
『コドポリーとレムレル』

 

異世界を舞台にしたのが1団体だけだったため、今後もぜひその路線は貫いてほしいです。
ただ、ファンタジーを舞台で成立させるには、いわゆる会話劇の5倍は俳優にも演出効果等にも説得力が必要になります。(そういう意味では力が同じくらいでも演劇祭で勝ち上がりにくいとか評価されにくいとか感じることもあるかもしれませんが、そこは5倍おもろいもんつくったらいいだけなので。)
創作共通の工夫として、世界観や設定や所作を詰めることなどがありますが、こと演劇においては目の前に生身の人間がいますので、魔法ひとつ使うにも、マイムを極めるのか、映像やマンガのイメージを喚起するのか、いっそネタで処理するのかなど、お客様の了解をとりつけるための様々な工夫が必要になります。
場面転換で暗転をせずに集中やスピード感を切らさないようにするのもそうした工夫のうちのひとつです。
関西の小劇場には設備や広さが充分でない劇場で上演する場合のアイデアの蓄積が30年分くらいありますので、まずは使えるものはどんどん取り入れたうえで、古いと思うものはアップデートして独自の舞台表現を築いていっていただければと思います。
コドポリー役の方は、本人にも脚本上の役の動機にもそれほど(いわゆるエンタメ芝居的な)力強さがあるわけではないのですが、とにかくそう思ってそうした、と感じさせる点において真実らしさがありました。

魔法の××らんど(龍谷大学 他)
『部屋にアリが湧きました。』


大別して、女性ひとり/男女ふたり/女性3人の3つのシーンがある一人芝居でしたが、演技の質的に、女性一人称だけのシーンが一番観やすかったです。
短めに割られたシーンが続くことから女性一人称だけでも飽きずに観せられたと思いますので、男性の『田所さん』も全く出さないか演説シーンだけにして、演説シーンだけやる場合は、ちゃんと男性の発声と立ち姿でやるか、主人公の女性が演説を再現しているテイで女性のままやるか、のどれかが合っていたのではないかと思います。
また、(そもそも切り替えをしないほうが質的には合っているように思いますが)一人芝居で複数役を切り替える場合、切り替え(に手間取ること)自体がよほど面白くない限り、ストレスなく見せるには会話のテンポを崩さないことが第一ですので、落語等も参考にして、姿勢や所作をいつどれくらい切り替えたらスムーズに別人に見えるのか探っていただければと思います。

村上慎太郎 氏

​▪️Aブロック

また明日。(佛教大学)
『夕暮れとさよなら』


ワンルームで、会話劇で、青春の終わりを注げるようで。3人いれば安定していた雰囲気も1人がタバコだのなんだのと抜け、2人になると話は深く掘り下がり暗い雰囲気に・・。最後には3人になり部屋を出るのですが、雰囲気が戻る。関係性によって話せること、隠し事などの情報量の差がどれだけでて、3人のときに、フォローされたりしあったり深刻にならなかったり。人数による関係性、話の深堀具合を演劇によって語られていた。作家のいつまでも青春をしていたい。でも大人へと変わっていく。しかし、楽しさにしがんでいたい、というような一つの青春期に過ごす友情関係を描いていた。

 

劇団トム論(京都大学大学院 他)
『岡田世界一周の旅』


「ブログをテキストに上演する」というスタートであり、そのブログとは「世界一周された岡田さんの」というものである。世界一周というある種、徒労感や爽快感、肉体疲労、精神疲労などのバイアスのかかった状態を、筋トレのような動きを繰り返し、フィジカルを使って表現されていた。海外でナナコさんが付き合った後、ハンターハンターなどの漫画を読んでいた描写が面白かった。海外に長くいると日本にいるかのような生活になったりする。しかし、そこにも「海外」というバイアスがかかっていて。とにかくあれだけのセリフ量、運動量は、なかなかのものだと思う。ただ、現在の岡田さんが「この世界一周」をどう思ったか?という部分が観たかった。やはり、舞台は圧倒的に現在演じられているのだから、今、岡田さんは、どう思っているのか?世界一周行って、どうだったか? というブログの外を飛び出したところを知りたかった。そして、小道具なども含めて、私は舞台の絵としても世界一周したかった。
 


ユニットめうつり(京都橘大学 他)
『わすれもの』


作り手の人の心に寄り添い丁寧に描かれていて優しさを感じる作品でした。「友達との会話/白い内側の存在」を行ったり来たりする主人公カオリ。自分は絵を描きたいのに、過去の経験から、ヒトに見せることをためらっている。1人の少女の心の内側のエグルような感情を演劇で描いていた。もう少し内面の爆発を絵で観たかったし、セリフの強さはあったので、その強さを隠しながら話すリアリティももっと観たかった。私にはちょっと直接すぎて、この人物がどう思っているのか?どう考えているのか?というグイグイと引き込まれにくかった。でも私は、夢を語るあたりのセリフには、光るセンスを感じました。

▪️Bブロック

ゆとりユーティリティ(京都府立大学 他)
『さとりストーリー』


「オンラインサロン」という言葉が現れたり、彼らの時代を捉える言語感覚に大変刺激を受けた。社会的な変化、最近の新用語めいたことを乱用し、【作用と反作用】の如く【笑いと真面目なこと】を行ったり来たりしていた。その作家のバランス感覚に好感を持てた作品だった。真面目なこと言いすぎると照れるし、笑いだけだと物足りなさを感じる作家の人間性なのだろうか。ラストにスマホを投げるなどの行為を含め、社会に対しての彼らの距離感を知ることができた。

後方39999.999km(佛教大学 他)
『㌔』


「演劇だけは止めておけ」と言うのすら演劇の中の登場人物で、2015年と2019年の時を駆け巡り、繰り返しの中をもがくように構築された作品であった。謎の踊りも良かった。京都学生演劇祭のコピーである「誰が為に演る」という言葉が彼の作品には鳴り響いていた。どうなるかわからないアドリブハプニング性に彼からパンク精神を感じ敬意を評したい。
 


睡眠時間(京都造形芸術大学 他)
『◎』


リサーチによる作品だということで、その地域の空気を感じられながら書かれたんだと思う。しかし、何から逃げてるのか? 走るのか? 走るエモさはいいが、軸が欲しかった。これが誰の話なのか? 街を描きたいのか? 群像を描きたいのか? 知りたい面が多くあったが、それは拝見する前にリサーチによるぶっとい背景を抱えた作品を期待してしまったのかもしれない。最後にバスケが上手くなるのは素敵な伏線であった。

 

​▪️Cブロック

劇団脳殺定理(近畿大学 他)
『春玖番』

 

照明効果の良い工夫を感じたシーンがいくつかあった。全員が黒い服を着ていたので、小さな強い光が当たると顔がハレーションで見えるくらいで、そんな光をうまく扱い、「死」にまつわる事が主人公の人生や心を揺らしているところから物語が始まった。私としては、登場人物がプロットを運ぶためのキャラクターという様に映った。もっと彼ら彼女らの葛藤を観たかった。

劇団シレン(同志社大学)
『静かにしろ』

 

この上演には、とても可能性を感じた。私は審査員賞に推しました。DJがいいですよね。DJで音を展開させながら音を止めずに構成した演出に大変、好感を持ちました。新しい劇作の可能性を孕んでいた。おもちゃ箱をひっくり返したようなキャラクター・衣装などで、整理されることを拒むように感じ今後、我が道を突き進まれるのかわかりませんが、フロアを揺らすように演劇の上演を揺さぶって新風を巻き起こしてもらえることを期待しています。

▪️Dブロック

劇団ストロベリーフレーバー(関西大学 他)
『コドポリーとレムレル』


脚本の構成力が巧みだと感じた。なので、もっと王国のことを知りたかったし、国民がどんな生活をしているのか知りたくなった。それは、登場人物を増やしてほしいというわけではなく、小さな王国なのか?大きな王国なのか?外交とかはあるのか?などの世界観の厚みのようなものが「舞台の外側」が見えると、作家の世界観のオリジナリティに酔いしれることができたかもしれない。
 


魔法の××らんど(龍谷大学 他)
『部屋にアリが湧きました。』


開演前にイルミネーションを観客に声をかけながらセッティングしている姿から、さっそく事件性を感じワクワクした。物語は、作家が肌で感じている時代感覚みたいなものが本能的に描かれているように拝見した。それが無意識か意識的か、私は昨今話題の「表現の自由」をめぐる問題のことを考えながら観た。それは台本を改定する前の台本を拝読した時にも感じ取れた。上演前に一番ドキドキしたのはこの作品だった。

和田ながら 氏

▪️Aブロック

また明日。(佛教大学)
『夕暮れとさよなら』


登場人物が全員同じ場にいる時と、一人が不在になり二人になった時の場面の組み立てがよく整理されていたと感じました。ただ、描きたいシチュエーションが先行してしまい、プロットそのものの説得力が弱くなっていたような印象でした。さびしさという繊細な感情をどのように扱うか、というのは難しい問題ですね。3人の登場人物それぞれに質の異なるさびしさを、設定、状況、演技、台詞、あるいは沈黙を駆使することでもっと際立たせることができたかもしれません。

劇団トム論(京都大学大学院 他)
『岡田世界一周の旅』


世界一周旅行のブログをテキストにするという着眼点と、トレーニングとランニングというシンプルな行為で全編を貫いた潔さが良かったです。その上で欲を言えば、俳優への負荷のコントロールや、内容とリンクするような動きの展開などによって、より精密な作品になっていった可能性を考えました。ロードムービー的な成長物語を装いつつ、様々な国を旅したとしても日本というドメスティックな感覚からなかなか離脱できないという終盤の皮肉が効いていたと思います。
 

ユニットめうつり(京都橘大学 他)
『わすれもの』

 

具象的な空間(部室)と抽象的な空間を舞台上に同居させるにあたって、演出的に図式的な処理にとどまっていたように感じました。たとえば、過去の主人公には固定的な場を与えるのではなく、浮遊し続けている存在として捉えるなど、検討できたかもしれません。登場人物の出入りが多く、そのことがあまり有効に働いていないように感じ、ストーリー全体がやや散漫な印象になってしまったことが残念でした。夏川役と高坂役の俳優の方の演技に好感を持ちました。
 


▪️Bブロック

 

ゆとりユーティリティ(京都府立大学 他)
『さとりストーリー』

 

2023年という設定が、2019年を過去として批評的に見ることを可能にしていました。その知性があれば、例えば4年前には想像できなかった現在のタピオカブームのように、現在の私達には想像できない4年後の未来の奇妙な流行を捏造する、といったフィクション(笑い)の方向にも作品が広げられたのでは。舞台上に散らかされていたゴミも、リアルなモノが必要だったのか、あるいはゴミではないものをゴミと呼ぶようなこともできたのかなど、アイディアをより育てられる部分がありそうです。

 

後方39999.999km(佛教大学 他)
『㌔』


ともすると破綻しかねない危うさのある作品だったと思いますが、ススム役のじゅういちさんの存在がセーフティネットとして機能しており、なによりもキャスティングが秀逸でした。底ら変さんのパワーを、時に活かし、時にいなしながら作品の舵をとっているじゅういちさんの働きがすばらしいと感じました。ダンス、歌、劇中劇と、多くの要素が詰め込まれていながらも、作品のカラーが他にはなかなか真似できないものになっていることは、強みだと思います。

睡眠時間(京都造形芸術大学 他)
『◎』


自分たちのリアルな大学生活をモチーフにした作品が多く見られる中で、現実に取材しつつフィクションの力を行使し、自分たちの現在からはみ出たところへ想像力を向かわせようとする姿勢が良いと思いました。細かい部分まで演出の目が行き届いており、俳優の演技もクリアで、クオリティの高い上演でした。ただ、終盤の展開がやや断片的で力技になっていたのがもったいないように思います。勢いは維持しつつ、このチームならではの丁寧さをより活かした方法を見つけられるのではと期待しています。

 


▪️Cブロック

 

劇団脳殺定理(近畿大学 他)
『春玖番』


プロットが論理的かつ効果的にまとまりきっていないように感じました。登場人物の心情と動機、リアリティのある状況の進行やSF的ルールの明確な構築と徹底などを踏まえて、説得力をもって物語を推進していけるように、台本の設計段階でまだ詰められる部分がありそうです。終盤、主人公が人の役に立ちたいという理由で演劇部を辞める(=演劇を続けていても人の役に立てない)、という皮肉(意図されていないかもしれませんが)が強烈でした。

劇団シレン(同志社大学)
『静かにしろ』


「アタマ」と呼ばれるデバイスから中毒的な快楽に溺れる人々を戯画化したストーリーも面白く、また、衣装や美術、小道具など、ビジュアルへのこだわりが世界観を強化しており、完成度の高い作品だったと思います。ただ、「アタマ」をつけている状態/外れてしまった状態が設定として面白い分、身体的なアプローチが弱かったのが残念でした。音楽に踊らされるあるいは中毒症状で痙攣的な身体の造形によって、よりインパクトのある作品に進化していくだろうという期待を持ちました。

 

 

▪️Dブロック

劇団ストロベリーフレーバー(関西大学 他)
『コドポリーとレムレル』


世界観の設定や、登場人物たちの行動と動機の設計がやや安直に思われ、ストーリーの説得力を欠いてしまったのが残念でした。ピュアな少女、女神的な母性、家族の結束など、既存の古い価値観を強化するのではなく、ファンタジーであるからこそ、現実を批評し価値観を更新できるようなアイディアがより強く求められ、そして活きるのだと思います。ステレオタイプの色を逆転させた白い悪魔と黒い天使といったようなクリティカルな反転が、作品の内側にもっと仕掛けられていたらよかったかもしれません。

 

魔法の××らんど(龍谷大学 他)
『部屋にアリが湧きました。』


映像で投影される字幕や落語的な複数人物の演じ分け、靴というアイテムの扱い、観客への直接的な語りかけなど、一人芝居という限定的な条件を逆手にとり、演劇ならではのさまざまな方法が効果的に盛り込まれていました。ディストピア的な近未来の設定は予言的でもあり、演劇におけるフィクションの機能に対して非常に意識的な作品だと思い、高く評価しました。他者との性的な関係の作り方が変わると演説の語り方も変わる、という場面は秀逸だと感じました。

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